白水社版翻訳の小田島さんは『夏の夜の夢』としてますね

メモ

あああ

白水社版翻訳の小田島さんは『夏の夜の夢』としてますね

いいい

「ファウスト」を読んで以来、シェークスピアの中でも読みたかった作品のひとつ。
パックの最後の台詞はいい。
midsummerは真夏のことだとばかり思っていた。
イングランドは真夏がもっとも過ごしやすいと
聞いていたので。
観劇に際し再読。改めて読みなおしてみて「テンペスト」と似ていると思った。
形式的には二点、まず、宮廷における仮面劇である点。
次に、基本的にシェークスピアの独創である点。
そして、実質的には、気になるフレーズが幾つかあった点。
一つ目が、ラストのパックの台詞。作品自体が夢であることを示唆している(そもそも夏の夜の夢だし)
もう一つが、四幕二場の「この夢を解釈しようなんてものはばかだ」。
そしてこれと対比したいのが、テンペストにおける「だが、大地に礎を持たぬ今の幻の世界と同様に〜仕上げをするのは眠りなのだ」
の句とそれに関するD・G・ジェイムズの考察。

以前読んだ「フェアリープリンセス」にこの「夏の夜の夢」が出てきて、パックが実際に登場するから読んでみた。初めてのシェイクスピアだったが、戯曲ってこんな感じなんだなって感じた。つまりあまり感激はしなかったということだ。けれど、いろんな小説にはシェイクスピアからの引用が使われているし、私もシェイクスピアからの引用が口をついて出るようになったらかっこいいのに、と憧れる。原書で読んでみたらまた感じ方が変わるかもしれない。読めたらの話。

『真夏の夜の夢』の舞台を観る予定があったので、高校生?大学生?ぶりに読み直しました。
原題は『A Midsummer Night’s Dream』なのですが、midsummerには「真夏」と「夏至」と意味があるので、本当はどっちなのでしょうね。白水社版翻訳の小田島さんは『夏の夜の夢』としてますね。
さて、もともとすんなりとは行っていなかった若者たちの恋模様が、妖精の王と女王のいさかいと、王のおせっかいと、妖精パックの勘違いのせいで、ますますこんがらがってしまったのを、再び妖精たちが手を回して、夏の夜におかしな夢を見ていたかのように上手くおさめられる、というのがストーリーですが、今回読み直したのは、ふんだんに散りばめられている「ことばあそび」をもう一度読んでおきたかったから。これこそ、シェイクスピア醍醐味の一つで、翻訳を読むと英語でも読みたくなります。

ううう

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